新田町

名称 内容、行事 画像
ふれあいぼたん園
(大慶寺)
新田荘の初代領主新田義重公の娘、妙満尼の開基といわれ、徳川氏より厚く庇護されてきた大慶寺。その庭には、ぼたんの花の季節になると、地域の人々が丹精込めた約150種3,000株の大輪の花が咲き誇ります。見頃は4月下旬から5月上旬、ぼたん祭開催。
生品神社 新田義貞旗揚げの神社とされる生品神社は、杉木立の鎮守の森に囲まれており、南に参道をのばしています。拝殿に向い右側に借屋のような小屋の中に櫟(くぬぎ)の古木の根元が保存されて、説明の碑には新田軍の大中黒の軍旗を掲げた伝説の樹だと云われています。集まったのは新田一族、山名、里見、堀口、大館等の150騎でした。ひっそりとした境内で独り目を閉じ鎌倉までの進軍の無事を祈ると、翻る白旗の下に集まる武士達の姿が蘇ってくるようです。毎年5月8日には、義貞を偲んで鏑矢祭が行われます。
鏑矢祭 新田義貞が生品神社での挙兵の折、鎌倉の方向に向かって矢を放ち吉凶を占ったという故事にちなんだ行事です。厳粛に式にとりくむ地元小学生の勇姿が印象的です。毎年5月8日に行われます鎌倉に向けて地元の小学生児童による「天誅」と言うかけ声と共に矢を放つのです。義貞が進軍の際に放った矢は2キロ先の松(矢止めの松)に刺さったとされます。
矢止めの松 生品神社で挙兵し、一斉に南方に向けて吉凶を占う鏑矢を放ち、一番の強弓であった義貞の矢がこの松に当たったという言伝えがあります。それは生品神社の南方約2キロメートルの畑の中にあります。松は明治の中頃に枯れてしまい、昭和のはじめに新たに植えかえられたそうです。
冠掛の松 新田町木崎仲町の大通寺境内には冠掛の松があり、進軍の途中に冠を脱いで松の枝に掛けたという伝説のある松です。現在の松は、江戸時代末期に赤堀の旧家より奉納されたものです。松の下に石作りの義貞の句碑があります。「立帰りまたもきて見む冠木の松よ千歳を我に契らば」
にった花トピア 中央公共地区周辺の広大な休耕田をひまわりとコスモスで鮮やかに彩ります。各種イベントやゲームなどが行われます。9月中旬から10月中旬頃まで。
反町薬師 堀に囲まれた新田義貞の居城とされる反町館跡。現在、館跡は照明寺になっており、反町薬師として新田町の人に親しまれています。館の周囲はぐるりと堀が巡らされて、ちいさな城郭のようです。
本堂の裏手には庭園があり、その中の池は「鳴かずの池」と呼ばれています。これは義貞が鎌倉攻めを思案している際、あまりに池の蛙の鳴き声がうるさいので”一喝”したら鳴きやんだという言い伝えがあるところからきています。