栗入り大どら焼き



1個 1,890円(直径21p・栗入り)


新田乃庄超大判どら焼き「源氏相伝」由来

建久4年春、征夷大将軍、源頼朝公は、下野国那須野から
上野国三原の辺りで狩りをされたことがありましたが、
鎌倉へお帰りの途中、新田義重公に招かれ、
新田の館と呼ばれていた彼の居城「寺尾城」に立ち寄られて何日かを過ごされたと、
史書「吾妻鏡」は伝えております。
言い伝えによれば、このとき義重公は、
新田の勇士の中から豪弓の使い手3人を選び、流鏑馬を披露いたしました。
その日は折悪しく風が激しく吹き荒れていましたが、
射手たちは舞い上がる砂塵を物ともせず、松に懸けた陣笠を見事に射抜き、
頼朝公より恩賞を賜りました。
ときに頼朝公は「ここ新田の庄の新田原を、これより『笠懸野』と呼ぶがよかろう」と
命名されたということです。

また、義重公は宮廷に大炊介として仕えたことがあり、
接待料理の製法にも詳しかったので、この日、頼朝公のために、
陣中の大銅鑼を焼鈑の代用として、即席の焼き菓子を献上しましたところ、
頼朝公は殊のほかお気に召されて、
「おお、まことに佳き味よ、以後源氏の相伝とせよ」と賞讃され、
義重公は大いに面目をほどこしたということであります。
以来、新田の庄寺尾城より伝統の名菓が、
しばしば鎌倉大将軍に献上されてきたと伝えられております。


入相や茶釜に響く銅鑼の音
そもそも、銅鑼は唐金で作られた盆形の打楽器で、
もともと仏具で、戦陣の鉦でもあり、戦国の武将たちは、茶道を楽しむ
折の合図にもこれを好んで用いたといわれます。
また、当店の「銅鑼焼き」は新田庄寺尾城跡より出土した陣中の大銅鑼の形に似せて
その名の由来と共に、深い歴史の味を秘めているのでございます。